私がフリーランスになったわけ

どうして31歳(当時)の年齢でフリーランスの検査技師になったのか。

それを語っていこうと思います。

私の人生の出来事が大きく関わっているので詳細は自己紹介のところで少しずつアップしていこうと思います。

社会人人生での大きな出来事は

●尊敬する杉原医師との出会い

パワハラによるうつ病:1年の休職

●転職、アメリカの杉原医師のもとへ遊びに行く

●パラハラによるうつ病2回目:半年の休職

■山陰の検査技師の在り方への疑問

です。※これらのエピソードに記事が追い付きしだいリンクを貼ります。

ここでは検査技師の在り方への疑問について語っていこうと思います。

これを読んでいるあなたは検査技師でしょうか?違ったとしても自分の職に置き換えて読んでみてもらえたら幸いです。

あなたは検査技師としてのキャリアプランを考えたことはあるでしょうか?

また、それに沿った生き方は今、できているでしょうか?

私は大学生のころから自分の生き方について考えていました。そんなに詳細ではないけれども、絶対に超音波と神経の検査を極めた技師になると。

就職のときに「生理検査」に配属されないならその病院には行かない覚悟でした。色覚異常であることさえ、生理検査に行くための道具にしました。

働いている間に、大学院で培ったノウハウを活かしつつ、できることは何でもやってみて自身の血肉としようと思って生きてきました。

しかし、それがしやすい土壌があらゆる病院の検査部にあるかというとありません。

ほとんどの技師が「本当はあの検査をしたかったけど、人手の関係で他の部門に配属されました。」とか、「特にやりたいことはない、今の慣れた部門でそれなりにやっていれば良い。」とか、「幹部の方針で急な部門変更があって、好きな検査から離れて久しい。」とか・・・よく聞く声です。

検査技師の学会や講習会での育成計画では「プロフェッショナル」よりも「ゼネラリスト」を育てようという動きが多いように思います。

※プロフェッショナル:専門家 ゼネラリスト:全般の知識・技術を持つ人

だから、余計に組織の都合で配属を入れ替えられたりするため本人がキャリアプランを練るという発想すら乏しいのではないかと思います。

配属が変われば新しい業務を覚えるという負担もある。

日々医学は進歩しているため、新しい知識を吸収しなければならない。

だけど山陰では勉強会が少ない、あっても山陰の交通網では遠くて行けない。

業務に追われ、院内での技師間の情報共有も少ない。

さらに技師長が全検査を把握しているゼネラリストであることが少ないため指導にまわれていないうえに、自身の不得手とする検査への理解が乏しい。

それが部門間の軋轢を生むケースもみてきた。

実のところ誰も幸せになれないことをしているのではないかというのが私の疑問です。

その点、私はとても幸運だった。

色覚異常のおかげで生理機能検査に特化したい大義名分を得た。

2度のうつ病のおかげで人生を見つめ直す時間を得た。

さらにうつ病のときに手を差し伸べてくださる医師や技師とのつながりを知ることができた。

そして、今、自分の手で新しい働き方を始めることができた。

と様々な経験や想いを経て、エコー検査に習熟した技師を育てることの困難さ、山陰の各病院での指導者不足、指導する時間の不足を感じ、誰か自由に色々な場所でエコーをとり、指導もできるような技師がいれば良いのではないかと思いました。

私のエコーに関しては超音波指導医の杉原誉明医師が全面的に支援いただけることから、私自身がそんな技師になろうと思い独立するに至りました。

今、はしもとクリニックと日野病院が私を使ってみてくださっています。

はしもとクリニックは開業医であり、大病院とは違った検査技師の働き方が可能となっています。

その日々をまた後日、綴っていこうかと思います。

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この記事を書いた人=ハットラボ(ハットリ)

臨床検査技師、超音波検査士(消化器)、血管診療技師、認定認知症領域検査技師

ブログを3個運営しているブロガーでもある。

 

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