あだ名禁止の記事を読んで思うこと

hattolabo
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こんいちは、ハットラボです。
今回はあだ名禁止の記事を読んだので思うところをつづることにしました。

あだ名とは

人が他人から本名以外で呼ばれる通称をあだ名といいます。

私だと「ハットラボ」は自ら名乗っているのであだ名ではありませんが、他の人から「ハット」や「ラボ」と呼ばれればあだ名です。

本名をもじったものだけでなく、容姿、身体的特徴などからもあだ名が生まれてしまうため、悪口に近いようなものも多いことが問題です。

あだ名一律禁止

https://blogos.com/article/297120/

の記事で最近の小学校は「あだ名禁止」や「さん付け」を推奨していることを知りました。

私は禁止には反対意見

あだ名にも良いあだ名と悪いあだ名があります。

それを一律禁止にすることには私は反対です。

管理する側にはする側の事情があり、そうせざるを得ないのでしょう。

いちいちひとつひとつこれは良い、これはダメと先生がチェックするわけにもいきませんし、それが正しいとは限りません。

その、これは良い、これはダメを子どもたちが考えることこそ重要なのではないかと私は思います。

私も「はっちゃん」や「忍者」と言われるのは嬉しかったですし、「デブ」や「ほくろ」と言われるのは悲しかったです。

成長するにしたがって蔑称のようなあだ名で呼ぶ学友は減っていたように思います。

いじめにつながるから禁止という理論

いじめの定義は〈心身の苦痛を感じているもの〉と定義されました。

あだ名は身体的特徴をとらえているものが多いため禁止とする学校が多いとのことでした。

どこかでこの構図をみたことがあります。

マンガやアニメは勉学の妨げになるから禁止!

ゲームは暴力的になるから禁止!

といった構図です。

物事の悪い側面ばかりをとらえ、それを抑制するために禁止とする。

一律禁止は楽でしょう。自分が禁止対象に興味がなければ何も困りません。

しかし、禁止対象が好きな人は苦痛を強いられます。

マンガやアニメにも教育的価値があるストーリーのものも多々ありますし、ゲームだってそうです。

そしてあだ名にも良い面があります。

あだ名で呼びあうことでより友好的な関係が築けることがあります。

クラス全員等しく仲良くなんて到底無理なのですから、親友と呼べる誰かとの関係性を構築するにもあだ名は一種の役割を果たすのではないでしょうか?

誰かの都合で禁止されたり、禁止されなかったりする世の中

bBearさんによる写真ACからの写真 

本来禁止するまでもないことを禁止されがちな世の中になってきました。

ひとつ対象が悪い効果をもたらしたと「考えられる」事例があれば一律禁止を訴える人がでてきて、そういう声の大きい意見に世間は敏感です。

実のところ、禁止することによる効果が立証されているわけでもなく、禁止したい人が多数かと言われると圧倒的多数は「どうでもいい」状態なのでしょう。

あだ名も同じで、禁止した方が都合が良いのは言いやすく、どうしても使いたいという声が大きいわけでもないためすんなり禁止になってしまう。

なんでも禁止、禁止、禁止!

と禁止し続けたらこの世の中はどうなっていくのでしょうか?

もっと他に禁止したら良いことがあってもそちらは禁止しない。禁止すると都合の悪くなる声の大きい人がいるのでしょう。

禁止よりも良い手段はないのか

それを考える前にすぐに禁止という安直な行為を声高にさけぶ人が多い気がします。

いじめの根本的な原因はあだ名ではなく、人の身体的特徴をあだ名にしてからかうという行為や思考です。

あだ名を禁止すれば「一見して」いじめがないようにみせることができるでしょう。

しかし、それが余計にいじめが裏で行われるようになる。教師が気づかなかくなるというデメリットは議論されたのでしょうか。

私は「禁止」という安直な行為はとても危険であると考えています。

あだ名の例でいえば、あだ名禁止ではなく、身体的特徴をからかわないという教育が大事です。

変な呼ばれ方を我が子がしていないか、それで苦痛を感じていないかを親がしっかりと学校でのことに関心をもつことなどが大事ではないでしょうか。

この記事を書いた人=ハットラボ(ハットリ)

臨床検査技師、超音波検査士(消化器)、血管診療技師、認定認知症領域検査技師

ブログを3個運営しているブロガーでもある。

 

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