槇原敬之さんの逮捕から考えること

槇原敬之さんの歌

彼の作る歌が素晴らしいのは言うまでもないことだろう。

私は「僕が一番欲しかったもの」という歌がとても好きだ。

歌詞が一連のストーリーになっていて、拾った素敵なものを人に私続けた主人公が最後に手にしたものに感動したのを覚えている。

これだけ素敵な歌を作る方でも覚せい剤に蝕まれてしまったというのが悲しい。

目を向けるべきは覚せい剤の恐怖

一部の芸能人がきっとそのストレスからだろうか、覚せい剤に手を染めて話題になる。

槇原敬之さんは2回目ということで、ネットなどの様子をみると茶化したりまたかなんて反応もある。

マッキー悲しいなぁ。あんなに良い歌を作る人なのに。

という声もあがっていた。

決して槇原敬之さんの心が弱かったからとか、我慢強さがないとかの本人の自制心の問題だけのことではない。

覚せい剤とはそれほどまでに依存性があるということだ。

例えば、日常にも依存性があるものが

たばこ、お酒など嗜好品にも依存性がある。

それらを辞めるのにもかなりの労力が必要であり、禁煙外来などがあるくらいであり、それでも辞めるのに苦労している姿をみる。

たばこやお酒はついもう1回はじめてしまっても、自身の健康を損なうだけで犯罪ではない。対して覚せい剤使用は犯罪であり、1回目でとても後悔しているはずである。

強烈な依存性が問題

たばこやアルコールで自身の健康を損なって痛い目をみた。

ということ以上に、犯罪者として捕まるというものすごく後悔しているはずの体験を経たうえで、さらにまた手を出してしまう。

そこに大きな問題があるし、そこの恐怖こそが語られるべきだと思う。

他人事だと笑っていられない

日本社会、ストレスなく生きている人はとても少ないと感じる。

いつも何かに追われ、同調圧力に耐えまわりの目を気にしている。

元気な時は耐えることができるだろう。趣味で発散もできるだろう。

私はうつになったことがあるからわかるが、趣味すら楽しめなくなるほど追い込まれる経験をした。

そのとき、弱っている精神の自分に手を差し伸べてくれる人ではなく、覚せい剤という誘惑、うつから解放されるという甘い罠が放り込まれていたら私はどうしただろうか?

あのときの精神状態はかなりひどかった。万が一、そうとは知らずにそんなものをすすめられていたらと思うとぞっとする。

槇原敬之さんも苦しんでいたのかもしれない。

彼を責めたり、彼のことを悲しむよりも、明日は我が身かもしれないと今一度覚せい剤というものの怖さを知るときなのかもしれない。

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この記事を書いた人=ハットラボ(ハットリ)

臨床検査技師、超音波検査士(消化器)、血管診療技師、認定認知症領域検査技師

ブログを3個運営しているブロガーでもある。

 

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