文章を書くということ

このブログをみていただいて、色んな記事を読んでくれた方がいらっしゃるとすれば、なんとなく感じ取っているかもしれない。

私は自分の考えたことや感じたことを文章にすることがとても好きだ。

どうしてこういう性質を持ったのかを考えてみた。

小さいころから日記を

遡ってみると、幼少期から日記を書いていたことを思い出す。

小学1年生から27歳くらいまでは毎日書いていた。

ハムスターを飼っていたころはハムスターの観察日記を書いていた。

うつ病(1回目)で日記をやめてしまったが、今日、ブログで日記を書こうと思ってまた始めたのである。

日記の書き方の移り変わり

日記は1日に起きた出来事を振り返って何行かの文章にまとめる作業だ。

小学生のころは朝起きて何をどういう順番でして寝るのかをつらつらずっと書いていた。ある時、それはあまり楽しくないし大変なことに気づく。

その後は1日の一番思い出に残った出来事自体を書いていた。

その出来事の詳細とそれが楽しかったのか悲しかったのか。

思いというものはあまり含まれず、出来事に着目していたことを思い出す。

そして社会人になってから「つかれた」の1行の日記が圧倒的に増えた。

たまに元気なときは思ったことや出来事が簡潔に書いてあるが、振り返ると当時の日記をみるだけでありありと疲弊した自分が想起される。

うつ病になったことによって、日記すら書けなくなりやめてしまった。

そして今、書いてみると出来事をきっかけとした考えや想いを重視した日記が出来上がった。

日記以外で趣味のTwitterなどで想いを綴ることが増えたためであろう。

人生で文章を書き続けてこういう経過が振り返れたことも楽しいと感じるし、これも成長の証のように感じる。

ふと、私の文章はわかりやすいのだろうかと考える。

話が脱線しがちで最適な言葉を探すために、少し難しい言い回しが多いようにも感じるが、やっぱりこの言い回しが私の中ではしっくりくるので使っている。

自分があとで読み返したとき、言葉に込めた真意が自分にはわかっているからわかりやすいと感じるが、他者が読んだ時は何を言っているんだ?と思われるかもしれない。

ところで、Twitterは140文字の文章しかうてない。

私は本来莫大な数の文字を打ちたい欲求をこらえて、140文字に凝縮してよくツイートをしている。

しかし、割とツイッターの他の方のツイートをみると短文が多いように感じる。

短文にしっかりと思いをこめるというのもTwitterならではかもしれない。

今の世代にはSNSが普及している。

色んな人の色んな想いが込められたツイートを目にすることが多いだろう。しかし、その真意が読み取れていてそのツイートに反応しているか、真意をくみとれるような文章が作れているかと言われるとそうではないことが多いように感じる。

どうしてこんな紛らわしい文章なんだろう?、これだと言いたいことと逆のことを言っているように聞こえるなと思うツイートも多々ある。

やっぱり140文字って難しいんだなと思う。

少ない文字に込めた想いをくみ取ること、込めることは短歌に似ている。

同じくらいの文章力、文章の裏にある背景の出来事を知っていてはじめて短歌は理解されている気がする。

そう考えるとやはりTwitterも現代版、短歌のようなものだ。

そのツイートに反応、特に批判するのであれば背景の出来事も調査してからでないと見当違いな反応をしてツイート主を困らせることになってしまう。

文章はその文章だけから読み取るのではなく、背景を観て、知って、感じてやっと理解できるものも多いのだろう。

どうしてこんな文章を書きたくなったのか、何故か思いついてしまったことつらつらと書いていくと私の文章はだいたいこんな感じになる。

書いていてどう感じているのか?

とても楽しいのである。

これを書き終わって読み返すのもわりと楽しい。

文章を書くってとても楽しいことなのだ。

このブログを制作して、一番楽しいのはこうやって想いをつらつらと書いてこれが誰かの目に留まるかもしれないことを考えることはとても楽しい。

国語の能力の低下が取りざたされ、どうしたら国語の能力が身につくのかが話題になることもある。

私は文章を書くのが好きになれるかが伸びに大きく関わっているように感じる。

私は高校生のころ、理系なのに文系の教科、特に国語が得意でセンター試験の模試はほとんど国語が8割正答することで成績を保っていた。

そのころにはもう文章を考えたり書いたりすること自体に苦手意識はなかった。

大学生のころはあまりよくわからなかった講義のレポートに考えたことをA4用紙2枚にびっしり詰め込んだところ、「内容の理解は不十分だが、文章の熱量は高いのでB」とB判定をもらった。つまり単位がもらえたのである。

やはり文章を書くのが好きと言うのは何か大きく国語力に貢献している気がする。

どうしたら好きになれるのか、大学生までの私は自分の文章を自画自賛していたが、今はTwitterなどで「いいね」がもらえると嬉しくなってたくさん書いてしまうことに気づいた。

やはり誰かが書いた文章を読んでくれると言うのは嬉しいし、それで「いいね」がつくと書く気も起きると言うもの。これはイラストにも言えること。やはり人は誰かに褒められるとやる気が湧いてくるのである。

こういう文章じゃないといけないという縛りは日本語には少ないと思う。

日本語にはこういう文章じゃないといけないという縛りが少ないと思う。

上の2文のように文節を入れ替えても意味が通じてしまうのが日本語の面白いところ。

もしこの文章を読んで、国語が苦手という方がいて、改善したいという方がいらっしゃるのならば、まずは文章を書いてみる、誰かがみれる状態にしてみる、反応をみると行うと、国語が好きになるかもしれない。

好きになったら得意になるかもしれない。

あくまで「かもしれない」であるが、好きというのは大事な要素だと思う。

とここまで色々書いてもまだまだ文章が頭に湧いてでてくるのが私で、このように私は「文章を書くということ」が「好き」なのである。

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この記事を書いた人=ハットラボ(ハットリ)

臨床検査技師、超音波検査士(消化器)、血管診療技師、認定認知症領域検査技師

ブログを3個運営しているブロガーでもある。

 

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